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自分の生まれ育った場所や親と離れて一定期間を別の場所で過ごすという体験
はなかなか貴重なもので、
その時が、自分の人生で初めての体験だった。

例えば、近所の子供と遊んでいて「バカ」は通じたけど、「あんごう」はわか
らなかった。
「あんごうってなんね?」とか聞かれた。
同居していた叔母さんもその言葉は知らなかった。

銭湯に行ったのも珍しい経験だった。
まだ小学1年生だったので、一日おきに入れ替わる男湯と女湯に毎日通った。
ある日いつもの銭湯(もしかしたら毎回お金を払う「銭」湯じゃなくて、
炭鉱会社の住宅の社員家族専用の共同浴場だったのかもしれないが)が休みで

100mほど離れた別の風呂に行ったとき、脱衣場から弟と二人ふりちん(全裸に
まま)で家まで走って帰ったことがある。
当時、うちの風呂は庭の先に小屋として建っていて、毎日風呂に入るためにそ
こまで歩いて通っていたのである。
以来、うちの両親に限って言えば今の八角形の家が建つまで、自分達が寝起き
している建物に風呂が付いていたためしはない。
そして洗濯のときも同じようにうちの母はいったん外に出て、(雨の日は笠を
差して)通っている。
母がよく鍋を焦げ付かせる一因かもしれない。

お風呂からあがったときに、祖母が体をパチパチとたたいた。
子供心にも悪気がないのはわかっていたんだけど「おばあちゃんたたいた。」
と言ったら、
祖母は、そのことを気にしていて、しばらくの期間、会う人事に
「風呂上りに体をたたいたら、孫が『おばあちゃんたたいた。』と言った。」
と言っていた。

九州からの帰り道は、栄子おばさんが夜行列車で送ってくれた。
寝台ではなく座席だったので、おそらく座席に横になって寝たのだと思うが、
そんなことまでは覚えていない。
急行でもなかったと思う。

当時の祖父母の住まいは平屋の炭鉱住宅で、同じような長屋が並んでいた。
堺のおじさんのところも同じような町並みだった。
戦後20年ほどたったあの頃の日本はどこも似たような住宅事情だったのかもし
れない。

うちの子供たちを同じように夏休みの一ヶ月間祖父母に預けるとしたら、
中国の天津ということになる。
病気になったら・・・とか様々な心配事はあるが・・・
それは大切な体験になることだろうと思う。

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あにやん

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